控えめオスラと花のうさぎ~過去編3(新生編前日譚1)

ウイキョウの日記

――また、今日も『例の声』を夢の中で聞いた。
物心ついた時から語り掛けてくる女性と思しき声は、どうやら私以外の人間には聞こえないものらしい。
ここ十数年はそのような症状も治まっていたのだが、最近になってまたぶり返してきたようだ。もしや、このグリダニアの地で信仰される『精霊の声』というものだろうか。
……いや、流石にそれは無いか。今の私は、精霊どころか、グリダニアの民にすら受け入れられているとは言えないのだから。

今日は特に仕事は入っていなかったが、日課の瞑想に、幻術士ギルドのある碩老樹瞑想窟(せきろうじゅめいそうくつ)へ向かう。辺りは暗く、日中は多くの人が行き会う新市街もまだ静まり返っている。
巨大なエーテライトを横切ると、木工師ギルドの水車前で薪割りをする長身の男性の姿が目に入った。 私が、おはようございます、と会釈すると、彼…木工師ギルドのマスターを務めるベアティヌ殿は額の汗を拭き、丸眼鏡を直しながらこちらを向いてにこやかに手を上げる。
近況を尋ねると、第七霊災以降の特需が未だ続き、注文の対応に手が回らない状況だという。建物の修繕や建て替えに使う木材はひと段落したが、今度は家具や日用品の需要が増えているようだ。
「手が足りない時はお声かけを」と私が言えば、彼は助かります、と笑顔を見せた。

――彼は、アウラ族の私にも気楽に接し、木材の調達や簡単な加工の仕事を持ちかけてくれる。報酬もかなり良心的なのでいまやこの街で生きていく上で無くてはならない取引相手だ。
……実の所、日記や記録を参照した限りでは、私自身も霊災前から『木工師ギルドに在籍していた』らしい。
私も周囲もまったく記憶が無かったため、その事実を知った時はとても驚いたのだが、実際に道具を手に取ると不思議とすんなり製材や制作が出来たため、そのまま『復帰』という形でギルドに名を置かせて頂いている。 こうしてギルドを出入りするうちに、ベアティヌ殿とはこうしてよく世間話をする仲になっていたのだ。

薪の積み上げを少し手伝ったあと彼と別れ、旧市街へと足を延ばす。町はずれの碩老樹瞑想窟に足を踏み入れれば涼しく湿った風が肌を撫でた。奥の瞑想の間へたどり着けば、幻術士ギルドマスターのエ・スミ・ヤン様がこちらに気づき、静かに微笑みながら座るよう促した。チラチラと視線を感じながら、すでに並んでいたギルドの方々の後列に腰を下ろす。エ・スミ様の指示に従い、静かに呼吸を整え瞑目する。香油の香りと洞窟内の澄んだ水音が心をなだらかにしていく。

やがて瞑想の時間が終わり、各々解散となる。
 私は他の幻術師仲間数名と明日の遺構調査の打ち合わせを済ませ、幻術士ギルドを後にした。 ――瞑想窟を抜けたとき、導師や商人がぎょっとした顔を此方へ向け、そそくさと去っていく。 私は苦笑いをしながら簡単に会釈をし、足早にその場を後にした。

日が昇り、賑わいを見せる旧市街を歩く。
 エオルゼア全土に壊滅的な被害をもたらした『第七霊災』など無かったかのように、穏やかな時間が過ぎていく。

……私は、数年前に紅玉海からこの地を訪れたのだが、どういう訳か、その時期の記憶が非常に曖昧だ。 そしてそれは私だけではなく、グリダニアの古くからの住民も、出入りする冒険者も…恐らくはエオルゼアにいる全ての人々に当てはまるらしい。 カルテノーの戦いで活躍した『光の戦士』と呼ばれる冒険者たちがよく話題に上がるが、武勇を謳われる一方で、皆その顔を思い出すことすら出来ないのだという。

そのような時期に私自身はどうしていたか。 日記を読む限り前線には出ず、異常発生した魔物や、領内に入り込んだ帝国兵の迎撃、住民の避難誘導や負傷者の治療に奔走していたらしい。 もっとも私自身、当時の記憶がすっぽりと抜け落ちているため、今ひとつ実感がわかず……そのことが時折辛く感じるのだ。未曾有の災害を前に手を取り合い、美しい森都を守った記憶はおろか、そこで培われたはずの絆さえ、彼方へ消え去ってしまったのだから。

だが、嘆いたところで失われた日々が戻ることはない。 幸いこの時期に培ったであろう戦闘術や制作・採集の腕は衰えてはいなかったため、霊災以降の数年はこれを生かして冒険者として食いつなぎ、多くの人々の力になるよう、研鑽を続けてきたつもりだ。 ――そうしてまた信頼を積み上げていく他にないのだ。そう自分へ言い聞かせ、私は歩を進めた。


カーラインカフェに併設されている宿屋「とまり木」の個室のドアを片手で閉め、大きくため息をつく。
やるせない思いを吐き出すべく、私は紀行録を開き、ペンを取っている。 ……幼い頃からの習慣だが、今となってはどこか心の拠り所のようなものとなっていた。 大柄な大人の男には似つかわしくない趣味だという自覚はあるのだが…どうにも、やめられない。

さて、今日は幻術士ギルドの仕事として、黒衣森の遺構調査を任されたのだが……その結果は散々であった。
 今回のメンバーは、ヒューラン族のメンバー数人と導士様1人。幻術士ギルドに集合した後、黒衣森中央森林へ向かった私達は、霊災時に空いた大きな空洞の中に現れた古い建造物の内部に進入し、調査を開始した。 そして、カビの匂いや雪のように積もった埃と戦いながら内部を進んでいくと、開かない扉に突き当たったのだ。 各々、ドアの材質を見極めたり鍵穴を探すが、手掛かりが見つからない。古代ゲルモア時代の特別な封印かもしれない!と一人が言い出したことで、メンバーはにわかに盛り上がり始めるが、結局魔術らしきものは見当たらなかった。

――そのときだった。不意に地盤が軋み、内部の壁が歪んだことで、背後の扉が開かなくなってしまった。 そう、閉じ込められてしまったのだ。 皆パニックになる中、私はいちかばちか正面の扉に体当たりをした。すると、錆びた錠前が割れる音とともに扉はあっけなく開き、先への道が現れた。 唖然として顔を見合わせる仲間からランプを預かり、道が出口へつながっていることを確認。混乱する皆をなだめながら誘導し、どうにか脱出することが出来た。

どうにか怪我人を出さずに探索を終えられたことに胸を撫でおろし、私たちは幻術士ギルドへ状況を報告。一度解散となった。
しかし、程なくして急遽再招集が掛かりギルドに赴くと、そこには精霊評議会の導士様が厳しい表情で佇んでいた。
導士様曰く、「貴重な遺構を損じたことの釈明を聞きたい」と。
 聴取というより、尋問のような態度に内心ムッとしたが、ここで争っても仕方がない。 扉損壊の謝罪をした上で淡々と状況を説明すると、流石にやむを得ない事情であったことをご理解頂けたのか、苦々しい表情をして黙り込んだ。癒し手が人命を優先した対応をしたこと自体は責められないのだろう。 去り際『余所者が』と吐き捨て、精霊評議会の面々は幻術士ギルドを後にした。
……同行したメンバー達は遠目でヒソヒソと話すばかりで、最後まで話に加わろうとはしなかった。私が「ご心配をおかけし申し訳ありません」と頭を下げると、そそくさと逃げるように去っていく。 唯一、ずっと同席していたエ・スミ様は「今回のあなたの行動は最善でした。今日は帰ってゆっくりと体を休めるように」とお声をかけてくださり、帰路に就いたのだ。

今に始まった話ではない。以前も似たような扱いを受けたことはある。
 救出依頼を受け、現場に駆け付けたら、救助対象者が私の容姿に恐怖を抱き治療を施すのに一苦労したとか、 エレゼン・シェーダー族の依頼を受けた翌日、冒険者ギルドで紹介される仕事が極端に減っていたりだとか。 知らない民族に対して恐怖を抱くのは仕方のないことであり、ひとつひとつの出来事は「気にしなければ」治まる話ではある。

だが、時々分からなくなる。一体何のために私は腕を磨き、人を助けているのだろう、と。 草原を飛び出し、紅玉海の家族達に背中を押され、満を持してグリダニアの地へ降り立った私を待っていたのは、幼少の頃の恩人、ア・トワ様が不慮の事故で既にこの世を去っていたという事実であった。

むろん、ただただ彼に会うためだけではなく、純粋に癒し手として修業を積むという目的はあった。 ――けれど、心の底で甘えていたのかもしれない。あのお方なら私の価値を認め、良く導いて下さるのではないか、と。 失意を抑えながら、黙々と幻術や冒険者稼業に奔走すること数年。未だに私の心は晴れない。

悶々と考え込んでいたら、夜も深くなってきた。 マーケットはもう閉まっているだろうから、手製の保存食で夕食を済ませてゆっくり眠ろう。 公衆浴場には、人のいない明け方にでも行くとしよう。そうすれば鱗や角をじろじろ見られることもないだろうから……。


明け方に入浴を済ませ、まだ薄暗いカフェの片隅で食事をしていると、カーラインカフェのマスター、ミューヌ殿に声をかけられ、世間話に興じることとなった。昨日と同じ保存食を紅茶で流し込んでいると、香ばしい香りが漂うウォルナットブレッドがテーブルに置かれる。 食べ物の持ち込みが迷惑だったのだろうか、と慌てて財布を取り出そうとするが、彼女はいいのいいの、と首を振り、「頑張ってる君へ、僕からの気持ちさ」とウインクしながら私の正面に腰を下ろした。

最近煮詰まっている様子だが、何かあったのかい?と聞かれ、私は言葉を選びながら事情を掻い摘んで打ち明けた。それは災難な目に遭ったね…とミューヌ殿は端正な顔を少し顰め、頬杖をつく。これだけいい働きをしている冒険者に対してこんな態度では先が思いやられる、と嘆息を吐く彼女に私は曖昧に相槌を打ち、頂いたパンをゆっくりと咀嚼する。生地の甘みとウォルナットの香りと上品なほろ苦さが咥内を包む。……ここ数日かなり食費を切り詰めていたので、軽くご馳走を食べた気分だ。

ミューヌ殿は少し思案した後、「気晴らしがてら、少し離れた土地の依頼を受けてみないかい?」と一通の依頼書差を差し出した。 内容は木材の調達・配達の護衛の依頼だった。だがそこに、『イシュガルド』という国名を見つけ、私は驚きとともに閉口する。

――かの地は、長年ドラゴン族との闘いが続いているという。 加え、このエオルゼアにはアウラ族が殆どおらず、私の鱗や角を目にした住人から『竜の眷属』と揶揄されたことがある。 グリダニアでさえこうなのだから、ドラゴン族への警戒感の強いイシュガルドでは魔物と間違われて争いになる……最悪拘束されて刑罰を与えられるようなことになりはしないか。 私の懸念に、ミューヌ殿は「まあ、無くも無いけど」とサラッと言ってのける。 しかし、どうやら今回はイシュガルド国内でも比較的外部の人間に寛容なクルザス中央高地からの依頼であり、依頼主の男性も冒険者に理解のある御仁だという。加え、かの地の土地勘もあり、双方の勝手を知る商人も同行するから、そこは安心して欲しい、と。

それならば、と引き受けると、話はとんとん拍子に進んでいった。どうやら、近々現地が荒天に見舞われる予報が出ており、早めに向かわねばならないらしい。 早速、幻術士ギルドへ数日不在にする旨断りを入れ、ベアティヌ殿に話をつけて木材の加工を少し手伝い、昼食を挟む。昼過ぎに今回同行する商人のブレモンダ殿と落ち合い、夕方には積み込み作業を完了させることが出来た。 「急な頼みになってすまないね。報酬は弾むから、どうか気をつけて行ってきてくれ」 そう言ってミューヌ殿から貸し出されたルガディン族用のやや大ぶりな防寒着を手に、私は北方の空を見上げた。 ――慣れない遠征への緊張と、ほんの少しの高揚を胸に。



……体の冷えがようやく収まってきたので、ペンを執る。
 緊張が解け、どっと疲れが押し寄せているが、ここの暖かい部屋へ行きつくまでの怒涛の顛末を、覚えているうちに書き記したいと思う。

早朝にグリダニアを出発したブレモンダ殿のチョコボキャリッジは、中央森林を抜け、北部森林のフォールゴウドで休憩を取った後、クルザス中央高地へと順調に行程を進めていった。 天気は快晴。比較的雨の多い黒衣森にしては珍しく、気持ちのいい青空が広がっていた。 北部森林の北端に近づくにつれ徐々に木々がまばらとなり、周囲の空気も差すような冷たさを帯びてくる。
 たまらず支給された外套を羽織る私に、ブレモンダ殿は水筒に入ったホットワインを振舞いながら「この寒さは何度来ても慣れんものだ」と苦笑してみせた。 身体が温まり、筋肉のこわばりが収まったことに感心していると、彼はワインの産地について語って聞かせてくれた。ラノシア地方ではワインの醸造が盛んであり、療養地として有名なブロンズレイクでは傷の治癒促進に温泉とワインが盛んに活用されているのだとか。

そんな具合で雑談に興じながら目的地を目指していたが、北上する最中急激に雪が降り始め、瞬く間に強く吹雪き始めた。天候の変化の速さに私が驚くが、山岳地帯はたびたびこういうことが起きるらしい。 雪は瞬く間に街道に降り積もり、キャリッジの車輪も重くなってゆく。 どこかで一度野営し、吹雪が収まるのを待とう。
ブレモンダ殿が提案した次の瞬間、前方からチョコボの切り裂くような悲鳴と共に、キャリッジが大きく傾いた。

私は反射的に弓を構え、チョコボに喰いかかってる魔物の喉笛目掛けて矢を放つ。
瞬間、背後から殺気を感じ身を翻せば、獣の鼻先が上腕を掠め、隣からブレモンダ殿のうめき声が聞こえた。
振り返りざまに杖に手をかけ、無詠唱の風属性魔法を目の前の魔物2体へぶつけて追い払う。
彼の傷に応急措置の魔法を施しながら周囲を見れば、荒れ狂う吹雪の中、ギラギラと輝く獣の眼がこちらを狙っていた。
――どうやら、囲まれてしまったらしい。
 このような事態になるまで気づけぬとは、護衛役が聞いて呆れる。
内心自嘲しながら、私はブレモンダ殿や従者の方々に積み荷とチョコボを連れて安全な場所へ退避するよう指示をし、返事を待たずに範囲回復の術を放った。
敵の視線が一斉にこちらへ集中したのを感じながら、キャリッジを飛び降り、全速力で街道を外れ、雪道を駆ける。
 一定以上の頭脳を持つ魔物は、群れを崩すために真っ先に癒し手を狙うもの。だから、剣術士などの守り手が居ない状況下で治癒魔法を行使する時は細心の注意を払わねばならない。
……かつて幻術士ギルドで何度も教わった知恵を、まさかこのような形で生かすことになろうとは。
 息が切れるまで駆け抜け、魔物の群れに対峙する。多勢に無勢、視界も最悪で敵に狙いを定めることすら容易ではない……さて、どうしたものか。
幻術主体なら傷を癒しながら戦うことが出来るが、この数の魔物に一斉に飛び掛かられれば間違いなく即死なので、全く意味を成さないだろう。
ならば、魔力で強化した矢を周囲に放ち、一撃で群れを壊滅させる他に道は無い。たとえそれが…果てしなく勝算の薄い賭けだとしても。

そう結論付け、覚悟と共に背中の弓に手を伸ばした時――正面の魔物の横腹に盾が投げつけられた。
驚いて後ろを見やれば、そこには鎖帷子で身を包んだ剣術士の姿があった。
くるくると回転し、戻っていく盾を追いかけるように、魔物の注意はその青年に引き寄せられる。
「私が攻撃を引き付ける!援護を!!」
 彼の声に大きく頷き、私は幻具を持ち直す。
青年は鎧兜に身を包みながらも軽々と敵の攻撃をいなし、確実に仕留めていく。私は彼の受けた痛手の回復に専念しつつ、隙を見て攻撃魔法で援護をした。
やがて、絶望的な数だった魔物は残り数体となり、その数体も分が悪いと察したのか、尻尾を巻いて逃げ去っていった。
「さあ!吹雪が収まった今のうちに!」
 呼びかけに答え、私は駆け足で彼の後に続いた。先ほどまでの天気が嘘のように、空が明るくなり、風も弱まっていく。やがて街道で待っていた彼の部下と思しき兵士たち、そして彼らに守られていたキャリッジと無事合流し、目的地のキャンプ・ドラゴンヘッドまで案内されることになった。

堅牢な石造りの門を潜り、キャリッジを預けた私たちは大きな建物に案内された。
青年が兜を取ると、水色の髪をした端正な顔立ちのエレゼン族の素顔が現れる。
そして自らをオルシュファン・グレイストーンと名乗った。
 その名を聞いて私達は目を丸くした。そう、彼こそが今回の木材取引の依頼主だったのだ。 彼は傷を負ったブレモンダ殿やキャリッジのチョコボの療養のため何日かでも休んでいかないかと提案し、私達もその好意に甘えさせて頂くこととなった。 そして、温かい寝室に通され、今に至る。

――衝撃的な出来事の連続で疲れてしまった。 ともあれ、彼の好意を無にしないためにも今日はゆっくり休むことにしよう……。


今日は現地の療養所の医師と相談しつつ、ブレモンダ殿に治癒魔法と錬金薬による治療を数回施した。 幸い比較的浅い裂傷で済んでいたので、数日体を休めれば問題なく動けそうだ。
一方でチョコボの方は、チョコボポーターの管理人が治療に名乗りを上げたため、そちらにお任せすることになった。イシュガルドはチョコボの繁殖・輸出が盛んな国であり、治療に関する経験も豊富なのだとか。

後回しになっていた木材の検品と引き渡しが終わると、オルシュファン殿は無事依頼の品を届けたことに感謝しつつ、申し訳なさそうに頭を下げた。
曰く、近年はドラゴン族との戦いに手一杯で、キャンプ周辺に蔓延る魔物の掃討にまで手が行き届いていない。 それゆえ、今回のように街道を行き来する商人が被害に遭うケースが増えているのだという。
こちらこそ護衛もろくに完遂出来ず、多忙な手を借りることになり申し訳ない、お力添え感謝いたします、そう伝えると、彼はホッと胸を撫でおろした。 ここの所、何かあるとすべての非をこちらに押し付けられることの方が多かったので、こういったやり取りはとても心が休まるものだ。

不意に会話が途切れ、彼がこちらをジッと見つめる。何か気になることでもあるのだろうか。そう思った時、
 「イイ……」
 「……はい?」
 私が首をかしげると、彼は突然ずい、と距離を詰めてくる。
 「すまない、もしこの後時間があるのなら、向こうの木人で、鍛錬をしている姿を見せてはくれないだろうか!」
 「は、はあ……」
 余りの勢いに押され、私は言われるがままに案内された鍛錬所で弓矢を取り出した。
毒矢や風魔法を纏わせた矢、牽制攻撃、深手や致命傷を狙う攻撃、複数の矢を番えた技。一通りの動きを見せると、今度は幻術の方も見たいというので、杖に持ち替え、地属性や風属性の攻撃魔法、そして最後に気持ち程度の治癒魔法を彼に施して見せた。 彼はおお……と歓喜に顔を輝かせ、カッと目を見開き空を仰ぐ。
 「引き締まり、静かに存在を主張する胸筋、弓を引けば力強く盛り上がる背筋!!そしてエーテルを体内で繰るときの汗と血潮の輝き…!イイ、イイぞ!!アウラ族とはかくも美しい種族であったのか!!」
 まるで役者のような大仰な身振り手振りとともに、なんだかとんでもないことを言われ、私は思わず2,3歩後ずさる。彼にはこの後鍛錬に付き合って欲しい、と頼まれたが、私は尻尾がざわざわする感覚に耐えられず、適当な言い訳をして逃げるようにその場を後にしたのだった。

今日も、昨日同様ブレモンダ殿の治療を終え、療養所の掃除を手伝っていると、フォルタン家の衛兵の女性に呼び止められた。
どうやら昨日、私とオルシュファン殿が訓練場で話しているのを耳にしていたらしい。 曰く、彼は以前から男女問わず『逞しい肉体』を鑑賞し、賞賛するのが大好きらしく、その興奮ぶりに引いてしまう者も多いのだとか。
しかし、彼はあくまで見て、褒める形で愛でているだけで、それ以上の如何わしい意図は一切無いのだと、彼女は丁寧に教えてくれた。 その事実に私はホッとする。信頼出来る御仁だとは感じていたが、私の勘は間違っていなかったようだ。

そう思うと昨日彼を疑って誘いを断ったことが何だか申し訳なくなり、私は、オルシュファン殿の執務室を訪ね、鍛錬の申し出をした。すると、彼は目を輝かせて驚くような速度で書類仕事を片付け、再び昨日の訓練場へ共に足を運ぶ。今度は共闘の訓練をすることとなった。
彼が木人に斬りかかり、私が後ろから弓矢や治癒魔法で援護する。そういった基本動作を繰り返しているうちに、いつの間にか日が高くなり、正午近くになっていた。
 建物に戻り、汗が染みた上着を着替え(彼は相変わらず穴が開くほど此方を凝視していた)、使っていない応接間で向かい合って昼食をとる。
私がいつもの保存食で済ませようとしていると、オルシュファン殿は笑顔で制止し、昼食を振舞ってくれた。分厚いひき肉のローフとチーズが挟まったレバーケースゼンメル、さらにはいい香りのするミルクティーまで差し出され、「滞在者の身分でこれは…」と恐縮するも、「遠慮をするな!!」と押し切られ、口に運ぶ。
香ばしいゼンメルを嚙み切ると熱い肉汁と溶けたチーズが舌に絡み、噛めば噛むほど旨味が出てくる。 程よい甘さのミルクティーで流し込めば、鍛錬で疲労した体がじんわり温まっていくのを感じた。
「ふふ……そうだ。その食事が血肉となり、その体をますます美しく屈強にする……イイ、イイぞ……」
 恍惚とした目を向けられ、不意に、良質な木材を前にしたベアティヌ殿の顔が思い浮かんだ。 好むもの・携わる分野は違えど…なんというか『似たような』性質の方なのだろう。
「まあ、確かにこの辺りに住む方からすると逞しく見えるかもしれませんが…アウラ族の男としてはかなり小柄なのですよ」
「何と!それでは、アウラ族が多く住まう東方では、更に頑強な角、頑健な肉体の者も居ると言うのか!?」
「ええ。重量感ではルガディン族の男性には及びませんが…。私より一回り以上大きい者も沢山おります」
「それは……うむ、いつか赴いてみなくてはな……」

真剣に考えるオルシュファン殿を前に、私はここへ来る前の認識を改めた。
アウラ族の角や鱗、体格を恐れる者は多い。――だが、誰もかれもがそうではない。
確かにイシュガルド本国では強い差別が残っていて、彼やこのキャンプの人々が寧ろ特異なのだろう。 それでも、例え少なくとも、受容される可能性があること。そのことでここ数年暗くもやがかかった心に一縷の光が灯ったように思えるのだ。

また話を聞かせてくれ!そう言って職務に戻る彼を見送り、私は幾分軽い足取りで午後の仕事を探しに行くのだった。



あれから数日。治療を進めながら、オルシュファン殿と鍛錬を共にした。
雪道で魔物に出くわした時の立ち振る舞いや装備についても教わることが出来たのは大きな収穫だ。
また、食事や訓練を共にする中で、出身地の文化や好きな食べ物など、さもない話題で盛り上がり、いつしか気心の知れた友人とさえ思えるようになっていった。
 そうして時間はあっという間に過ぎ去り、傷の治ったブレモンダ殿とともにキャンプドラゴンヘッドを後にする日がやってきた。オルシュファン殿は目に見えて名残惜しそうにし、数人の部下とともに国境付近までつきあってくれたのだった。 「――何故だろうな、お前とはまたどこかで会えそうな気がするぞ!」  朗らかに笑う彼に私は大きく頷く。きっとまた会える、何かの仕事で一緒になる。……根拠は無いが、そんな予感がするのだ。

こうして、チョコボキャリッジは北部森林から中央森林を抜け、数日ぶりのグリダニアの街で戻ってきた。 ブレモンダ殿と握手を交わして別れた後は、各ギルドへと報告に回る。

冒険者ギルドの門をくぐると、ミューヌ殿が血相を変えて駆け寄ってきた。 ある程度の情報は伝わっていたものの、かなり心配をかけてしまっていたようだ。 経緯を掻い摘んで説明すると、彼女はホッと息を吐き、危険な任務に放り出して申し訳ない。と頭を下げる。 報酬は弾み、今後はもっと色々な仕事を紹介するよう、ギルドにも掛け合って貰えるようだ。

木工師ギルドでも、ベアティヌ殿がかなり気を揉んでいたので、状況を説明した上で、届けた木材が非常に好評であったこと、ドラゴン族との戦いで慢性的な資材不足なので、今後も取引をお願いしたい、というオルシュファン殿の意向を伝えると、彼は丸眼鏡の奥の瞳を嬉しそうに細めていた。
「貴方は私の大事な弟子です。決して無理はしないように。 守れなかったら……そうですね、貴方のその芸術品の如き鱗を、オークチップのように、バラバラに……」

 私が4歩ほど身を引くと、彼は「木工ジョークです……フフ…」と呟き、工房に戻っていった。
………この人も大概だな、と思った。

最後に幻術士ギルドに立ち寄る。すれ違ったギルド員らが私から目を逸らし、ヒソヒソと話しながら足早にその場から去っていく。
流石に数日ギルドを空けたので、冷たい目で見られるのも無理は無いか。そう思った時、「あの…」と小さな声で呼びかけられる。振り向けば、そこには先日の遺構調査のメンバーの一人が佇んでいた。 どうやら、遺構調査で助けてもらったお礼を言いたかったらしい。

「調査後に精霊評議会に詰問されているの、おかしいとは思ったんだ。だけど…あの場じゃとても言い出せなくて……そしたらあんたがクルザスからずっと帰ってこないとかいうから…もしかしたら一生言えないかもって思って……だからその、悪かった…ありがとう」
 近くの者にしか聞こえない声量で早口で告げると、彼は会釈をし、足早に去っていった。
 いつの間にか私の傍らに佇んでしたエ・スミ様が「良い経験をしましたね。心なしかあなたの表情も晴れやかです」とほほ笑む。
私はご心配をお掛けしました、と跪き、事の経緯をお伝えする。エ・スミ様は静かに相槌を聞きながら報告を聞き、確かに伺いました、お疲れさまです。と言い、私から受け取った報告書を懐に仕舞う。
「――なるほど。最初聴いた時は耳を疑いましたが、ア・トワがあなたに幻術を伝授したのも頷けます。あなたはどうやらあらゆる地を巡ることでその力を、心を強くする者のようだ」
 エ・スミ様はそう語り、しばしの間瞑目したあと、私に微笑みかけた。
「いつかあなたも、もっと広い地域を巡りながら幻術を極めることとなるでしょう。ですからその時に備え、日々研鑽を怠らぬよう」
 期待していますよ、と激励し、エ・スミ様はその場を後にした。

私は静かに瞑目する。

――確かに、第七霊災の時は非常事態下で多くの人と確固たる絆を紡いだのだろう。
それは平常時には決して真似出来ないことであり、一度失われれば二度と同等の関係は築けないものと思い込んでいた。
だが、今回の1件でそれは過ぎた考えであると痛感させられた。
たとえ平和な時代下で人々の結束がそれほど強くなくても、差別が色濃く残っていたとしても。 大なり小なり、手を取り合える可能性は確かに存在するのだと。

いつか旅に出ることになったら、どのような出来事が待っているのだろうか。
今回のようにむやみに命に危険を晒すような事は御免こうむりたいが、それでも未知の地域に足を踏み入れ、鍛錬を積めば、また思いがけない出会いもあるかもしれない。
そう思うと、爽やかな高揚感が胸の中に生じるのだった。

―――眼を開ければ、薄暗い碩老樹瞑想窟の出口から、穏やかな光が差し込んでいるのが見えた。