控えめオスラと花のうさぎ~過去編2(思春期編)

ウイキョウの日記

今日も、筋違砦の一日が終わった。
砦の見張りや漁、魚の処理。魔物退治に船の掃除、点検、修繕……。
『海賊衆』なんて言うから、年がら年中盗みや略奪ばかりしているのかと思ったけれど、全然イメージと違ってビックリ。
戦い一辺倒だったブドゥガの社会と比べてずっと多様で、複雑で。毎日が驚きの連続だ。
それに…料理や製薬、薬草摘みや治癒術の経験を、ここでは高く買ってくれる。
賃金も大事なんだけど、僕はそれ以上に感謝して貰えることが何よりも嬉しかった。
向こうでは、例え感心されたとしても、二言目には『だが、そのようなものばかりに明け暮れていては~』と小言がついて回ったものだから…。
ここでは、僕のあり方を否定されない。認めてくれる。――だから僕もそれに報いなければ。
仕事を早く覚えて、薬や治癒術の知識も、鍛練も、どんどん積んでいこう!

この筋違砦に来て早々、僕には2人の目付け役がつくことになった。
ルガディン族のラショウと、ヒューラン族のタンスイだ。
2人とも、肉親を亡くしたり、貧しさから逃れるために故郷を出て、この海賊衆へと流れ着いたらしい。
ラショウは僕よりもずっと大柄で迫力があるけれど、とても落ち着いていて、冷静な人。
タンスイは逆にとても陽気で口数が多く、僕にもよく話しかけてくれる。
本当は年も立場も上の人だから、さん付けで呼ぼうとしたんだけど「むず痒いからやめろ」って言われちゃった…。
そのくせ、僕のことは『ウイ坊』って呼んで、妙に子ども扱いしてくる。(もう14歳なんだけどなぁ)
ここでは出自も過去も関係ない。みな家族だ。委縮する僕にラショウはそう言いきかせて、優しく頭を撫でてくれた。
――『家族』。
その言葉に、昔、僕の頭を撫でた大きな手を思い出す。
……今度こそなれるだろうか。この人の家族であるに相応しい『僕』に……。

今日も、砦の一日が終わった。
ここの仕事にも段々慣れてきて、最近はお賃金で本を買って勉強したり、魔法や弓の鍛錬をする時間も持てるようになってきた。
先輩たちには、お酒片手に「マジメだなァ!」って目を丸くされることも多いけど…。
僕は草原の外のことも碌に知らない世間知らずだから。少しでも皆の役に立ちたい。足手まといにならないよう、努力しておかないと!
そうしたら、そんな僕を見かねたのか、勘定方のツキカゲ親分が仕事の間に色々なことを教えてくれるようになった。この地方の文字の読み書きや、地理、貨幣の仕組み……。
ラショウやタンスイよりも一回り年上で、ちょっと怖い人かと思ってたけど、いざ話してみたらとても誠実で優しい人だった。
アジムステップでは白角のアウラ・レンは軟弱者みたいに言われていたけど、絶対そんなことは無いって、今なら言い張れる。知識も豊富で、立派な体も備えた、立派な大人の男だ。
いつか親分みたいなアウラになりたいなぁって言ったら、親分はちょっと照れくさそうに笑っていた。
「勉学の類はすぐ根を上げる者が多い中、うぬはめげずに食らいついてくる。精進するんじゃぞ」
親分の励ましの言葉に、僕は大きく頷く。忙しい中教えてくれる以上、しっかりと学んでいこう!
(ああそうだ。草原育ちのせいで若干癖字があるようだから、明日からの日記を書くときには意識して直していかなきゃ…メモメモ。)

今日は、ひんがしの国の大都市・クガネに連れて行ってもらった。
かなりの遠出だから、今はまだ帰りの船の中。みんなすっかり疲れてうたた寝をしている。
――本来、海賊衆は何処の国にも属さなくて、ひんがしの国では『ならず者』の扱いだ。
だから、海賊衆だということは出来るだけ隠して派手な行動は慎むように、とツキカゲ親分には釘を刺されていた。
ドマの漁師と身分を偽って最小限の買い物をし、密かに取引のある商人とは店の裏口で落ち合い、干し魚や雑貨を売って皆の生活費に換えていく。
手慣れた様子で仕事をする親分たちに、僕はずっと口を半開きにしてついていくことしか出来なかった。
だって…こんなに大きな街も、こんなに沢山人がいるのも初めてだったから。
真っ赤で煌びやかな意匠の建物、昔の偉人を象った像、そして町の奥にそびえたつ立派なお城……
大きい建造物なら、草原の「明けの玉座」には敵わない。けれど、こんなに狭い土地にひしめく様に建物が並んで、沢山の人が忙しなく行き交って。それを見下ろすようにお城が建っている光景に、僕はただただ圧倒されてしまった。
商店が並ぶ『楽座街』に並ぶ品物の数は、『再会の市』なんて比べ物にならない程で。知らないもの、見たことのない価格の者もずらりと並んで、ついつい立ち止まっては親分に先を急かされていた。
そうして最後の取引先の高そうな食べ物屋(料亭、って言うんだって)に着いて、取引が終えるのを待っていた時、奥の間から繊細な楽器の音色と綺麗な唄声が聞こえてきた。
何か物語でも語って聞かせてるのかな、と聴いてたら、いきなり酒に酔った男の大声や手を叩く音が響き、角がキーンとなってしまった。
「クソ、帝国の連中め……」
店主がそう毒づくのが聞こえ、どういうことか訊こうとしたら、ツキカゲ親分がそれを遮るように挨拶をし、僕の腕を引いて店を後にした。

――クガネを出港した後、親分は船の中で、色々なことを教えてくれた。
ガレマール帝国という大国が紅玉海の西にあるドマを力で制圧し、以降、影響力を強めていること。
クガネを擁するひんがしの国は中立の姿勢を貫いているが、街中で帝国関係者が横暴を働いても見て見ぬふりをせざるを得ないこと。
ドマはもっと酷い状況で、属州化されたときに親を殺された者も多く…あのラショウもその一人。
恐らくあの店で唄っていた女も似たような境遇の元で身売りされたのだろう、と。
暖かな海賊衆と美しいクガネの街の裏にある事情を聞いて、僕は言葉が出なかった。
……確かに、アジムステップも争いの絶えない地で、血族を殺されたり略奪に遭ったりすることなんて珍しくも無い。
だけど…10年も20年もこんなに広い地域を同じ国ばかりが支配しつづけ、支配権を取り戻す『終節の合戦』のようなチャンスも無い。それどころか、支配地域の人々をまるで使い古しの道具みたいに扱って、逆らえなくするなんて。…何より、こんなに水も食べ物も、土地も豊かなのに、飢え死にや身売りが横行しているなんて…。
顔をしかめて黙り込んでいると、ツキカゲ親分は「徐々に分かっていけばよい」と僕の頭をポンポンと叩き、ござに横になって寝息を立て始めた。
――ああ、沢山書いてたら、ずいぶん月も高くなった。…眠れるか分からないけど、僕も横になろう…。

今日は、なんだか難しい交渉があるとかで、頭領・親分格は皆、一日砦を不在にしていた。
干し魚の見張りや武器の調整、砦周辺の見回りなどをして一日が過ぎ、すっかり日が暮れて。
桟橋で夜釣りをしているときにようやくラショウとタンスイが砦に戻ってきた。
……二人ともすっかり疲れ切っていて、タンスイは「やってらんねぇ」とか低い声で毒づいて僕の隣にどっかりと座ると樽酒をあおり始めた。
ラショウもタンスイの態度を注意することもなく、大きくため息をつくばかりだった。
 いつも冷静な2人らしくない様子に僕は「なにがあったの?…交渉、うまくいかなかった?」と恐る恐る訊いてみたけど、タンスイは「飯の調達に集中しろ。餌取られんぞ」とはぐらかすだけだった。
僕は渋々釣り竿に視線を戻し、ラショウは黙って釣り上げた魚の処理を始める。
ざっざっ、と魚の鱗を掻く音。嗅ぎ慣れた新鮮な魚の血の匂いが海風に乗って流れていく。
時折僕が魚を釣り上げる時以外は本当に静かなもので。広大な紅玉海の波音が辺りを穏やかに包み込んでいるようだった。
――そういやお前、向こうではどんな暮らししてたんだ?
少しお酒の入った声色で訊かれ、僕はここに来る前のいきさつを掻い摘んで話した。
物心つく頃に両親を亡くし、ブドゥガ族に拾われ、育てられたこと。
次期族長候補の兄だった人のこと。
期待に応えられず、一族の価値観にも溶け込めず。ひとり飛び出してきたこと…。
いつの間にか釣りのこともすっかり忘れて長々と語ってしまったけれど、二人とも、作業の手を止めて僕の話に耳を傾けてくれていた。

「…そりゃあ、肩身の狭い思いをしてきたな」そう言うとラショウは魚の血で汚れた手を海水で濯ぎ、優しく僕の頭に手を置いた。タンスイも珍しく茶化したりせず大きく頷いた。
「ここには色んな奴らがいる。お前と同じアウラ・レンもいれば、他の種族もいる。生い立ちは、禄でもないのも含めて様々だ。掟さえ守ってりゃお前を特別疎んで追い出すようなことはしないさ」
――だからあまり気負いなさんな、ウイ坊よ。
タンスイはそう言ってニカッと笑うと、樽酒を飲み干し、大きくて汚いゲップをした。
そしたら僕もなんだか釣られて笑ってしまった。
…そのうちツキカゲ親分がやってきて、「こんな深夜にいつまで油を売っておる!」と雷が落ちて。
僕らは揃って砦へ引き上げることとなった。

穏やかな潮風に優しく頬を撫でるのを感じながら、また紅玉海の一日が終わる。