控えめオスラと花のうさぎ~過去編2(思春期編)
ウイキョウの日記
……暗い懲罰房の天井を、ひとり、仰ぐ。
色々なことがあって、話して、色々なことをして、もう数日だ。
最早日記なんて何の意味があるか分からないけれど、でもここまでの事を思い出して書こうと思う。
物言わぬクバクさんを連れてクガネから帰ると、海賊衆は襲撃の事後処理に追われていた。
船の修理に負傷者の治療。周辺の漁師への聞き込み。頭領達は、僕から改めて一連の経緯を尋ね、その上で広まった悪評の解消を進めるようだ。もちろん、捕らえた襲撃者への尋問も一緒に進めていくようにと、頭領は淡々と命じていた。特に、主犯格の豪商の男にはより激しい尋問が待っていることだろう。
……僕は、あの男の尋問に立ち会うことは許されず、代わりにクバクさんの弔いを命じられた。
一度、娼館側に掛け合って彼女の両親に連絡を取ろうとしたのだけれど、既に店を離れた女だからこれ以上関わるつもりは無い、と門戸を閉ざされてしまったのだ。
こうなるともう身寄りは無いので、海賊衆の風習に習って弔うことになる。
――損傷と汚損の酷いクバクさんの亡骸をこれ以上傷つけないように清め、傷口を固め、簡易な装束と白い布で体を覆い、顔の傷跡は死化粧で覆い隠す。
葬送用の小舟に乗せられ最後に、海辺に自生していたカワラナデシコ、そして…彼女が使っていたであろう自室に、無傷の状態で隠されていたあの三味線を添えて、海へ送り出した。
月に照らされた白い貌はどこか穏やかで。静かに、静かに、地平の先へと消えていった――。
……ごめんなさい。僕が余りに無知で子供だったから。あなたをこんな目に遭わせてしまった。
どんなに償っても償いきれるものではないけれど。それでも…かの世への旅路が穏やかなものでありますように。また…あの美しい旋律を奏でることが出来ますように――。
祈りが通じたのかは分からない。けれど。海の向こうに消えたクバクさんは二度と戻ってくることは無かった。
豪商の男は、殺してしまうと海賊衆の立場を悪化させかねないという理由で、尋問が終わり次第解放されることとなったようだ。…もっとも、最後に見た様子だと、計画の破綻と激しい尋問で抜け殻のような有様だったので、まともに社会生活を送れる状態では無かっただろう。
そして、しばらく経ったのち、男は何者かに殺害され、娼館は店を畳みもぬけの殻となったようだ。男は、恐らく都合が悪くなった帝国側に口封じのために暗殺されたのだろう。
店の方は…詳しい理由は分からない。豪商の男との繋がりとかで、立場が悪くなったのかもしれない。
帝国の圧力が掛かったのかもしれない。…もしかすると、僕を発端とした騒ぎで店が傾いてしまったのかもしれない。
こうなるともう…どうしようも無い。治療途中だった遊女さんが元気でいるよう、ただただ祈ることしか出来ないんだ。
そして僕は、一連の事後処理が終わったのを見計らい、自分から懲罰房に入った。
房を管理する尋問担当からは「命じられてもいないのに何をしている」と注意されたけど、もう、皆の元にはいられないから、と伝えたところ、眉を顰めながらも一人にしてくれた。
……ここからはもう、記憶が曖昧だ。
カビ臭いござに横になったまま、何をしようとも思えなくなって。
浅い眠りと覚醒をただただ繰り返す日々だ。
ラショウやタンスイが食事を持って訪ねてきたけれど、受け取ることは出来なかった。
僕は……軽率な行動で仲間を傷つけた。一歩間違えば帝国兵と結託した男によって、一族郎党皆殺しにされていたかもしれない。それなのに、どうしてのうのうと飯を口にすることができるだろう。
牢の前に定期的に置かれる握り飯に背を向けたまま、僕は目を閉じる。
段々と空腹も感じなくなってきて、
もうろうとした頭で、思いにふける。
――結局僕は、何も出来なかった。
癒し手としての力を認めてくれて、世の中の事を学ぶ環境も整えて、生活も保障してくれたから。
もっともっと役に立てるように、4年間ずっと鍛錬して、本も読んで、砦の仕事も自分から覚えてきたのに。
最後は皆に迷惑をかけてしまう。クバクさんのことも…助けたつもりが、彼女を追い詰め、死に追いやってしまった。
こんな状態でグリダニアに行っても、きっと同じことの繰り返しだ。
これ以上探したって、もう何処にも僕の居場所なんて無い。
何も出来ない、役に立たない。そんな、なり損ないが生きていい意味なんて、もう何処にも――。
…もう何日か経った気がするけれど、沙汰を言い渡される気配は無い。
僕はこのまま、ここで緩慢に死んでいくのだろうか。
……でもそれだと、僕の死体の片付けで迷惑だろうから、砦を出てどこかへ行った方が良いのかもしれない。
そう思って牢を出ようとしたら、牢屋の前で佇む、ツキカゲ親分と目が合った。
何処へ行く、と尋ねられ僕は「皆の迷惑の掛からない所へ」とだけ答えた。
親分は天を仰ぎ、大きくため息を吐き、言った。
「また、逃げるのか?」と。
その言葉に僕はハッと目を見開いた。不意に思い出したのは広大な草原と青い空。
人気のない天幕の調理場で睡眠薬を料理に混ぜ、乳酒を強いものにすり替え、荷物片手に、逃げるように拠点を去った、4年前のあの日のことを。
黙り込んだ僕を見、親分は諭す。沙汰はこちらで決めるから、うぬはどうしたいかを考えろ。と。
「クバクのことも信念があってのことだったのじゃろう?――誰かの顔色を窺って言いなりになるなら、それは人ではない、只の人形だ。うぬは何を望んだ。叶えられなかったのならそれは何故か。どうしたいのか。よくよく考えよ」
静かな口調で滔々と言い含めると、ツキカゲ親分は盆に乗った湯呑をぐっとあおり、その場を去っていった。僕は、親分の言葉を噛み締めながら、房の扉前に置かれた湯呑に手を伸ばす。
僕は…何故あの草原を去ったのだろう。認められなかったから?価値観の合わない自分が居ても迷惑だと思ったから?
湯呑の中身は、生姜湯だった。温かい湯が喉を通り、胃に灯の様な仄かな熱が宿る。
……確かに、それもあったかも知れない。でもそれ以上に、僕は。
――気付けば、僕は一目散に宴会場へ走り出していた。
大きな音を立てて戸を開けると、大騒ぎしていた海賊衆の皆は、驚いてシンと静まり返る。
僕は奥座にいる頭領に向かって自分の想いを告げようとしたけど、息切れで膝をついてしまう。
心配して駆け寄ってきた同年代の仲間に支えられながら立ち上がろうとしたとき。
ぐうう~~…と間の抜けた音が辺りに響いた。
……僕の、お腹の音だった。
一番最初に噴出したのは、タンスイだった。僕を指さして、ゲラゲラと笑い転げ、ポカンとしていた他の衆も、頭領格にも、伝染するように笑いが広がっていく。
僕が真っ赤になって口をもごもごさせていると、ラショウがのしのしと寄ってきて僕を着物の帯を掴んで器用に持ち上げ、何時もの席へと座らせた。……そこには、当たり前のように、僕の膳が用意されていた。促された僕はいただきます、と手を合わせ、膳に橋を付けた。
暖かいご飯、魚の出汁が効いた汁物。紅玉海で取れた魚の焼き物――。
そのひとつひとつを噛み締めているうちに、ぼろぼろと涙が零れてきた。
何だか世界に色が満ちていくような感覚を覚え、僕は内心苦笑する。
ああ、ご飯一つでこんなにも心持ちが変わるものなのか。僕って、本当単純だな…って。
ご飯茶碗の最後の一粒を口に入れ、嚥下し、「ごちそうさまです」と手を合わせる。
そして大きく深呼吸し、僕は頭領の席の前に進み出て正座をし、話を切り出した。
まずはクバクさんの一件で海賊衆に大きな被害を出してしまったこと、そして沙汰を待たずに、勝手に仕事を放って独房に籠ってしまったことを、頭を下げて謝罪した。
その上で、僕は望みを、決意を頭領に伝える。
「――強く、賢くなりたい。今度こそ大切なものを、皆を守れるように。強い心を持った大人に、僕はなりたい」
辺りが静まり返り、皆が耳を傾けている気配を感じながら、僕は話を続ける。
「だから……迷惑かもしれないけど、僕はまだまだここに居たい。戦争の事も、お金のことも、人の心のことも、世の中の辛いことも全部。目を逸らさずに向き合いたい。ここで…勉強させてください」
どうにか望みを伝えきった僕は頭を垂れ、瞳を閉じた。体の奥で心臓がバクバクしているけれど、心はとても晴れやかで。例えここで頭領に斬首されても、何の憂いも残らないような気さえする。
やがて、頭領はその場で僕の沙汰を言い渡した。
「今回、お前自身に悪意が無かったことはよくよく聞き及んでいる。だが、これだけの被害を出した以上、けじめをつけねばならぬ。……よって、お前をこの海賊衆より追放する」
膝に乗せた手がおのずと震えるのを感じたとき、「ただし」と頭領が話を繋ぐ。
「――今より5年後までは猶予を与えよう。それまでに存分に学び、力をつけよ。そしてそれを仲間と共有し、後進を育てるのだ。それを以って今回の一件の償いとする」
一瞬何を言っているのか分からず、僕は思わず顔を上げて辺りを見渡した。僕同様驚いている人もいれば、涙ぐんでいる人もいる。
「その後の追放・出入禁止の期間については…まあ、そのころは次期頭領に代替わりしているだろうから、そいつの判断にまかせよう――頼んだぞ」
そう言って頭領は視線をラショウへ向け、彼はやや驚いた様子を見せながらも背筋を伸ばして大きく礼をした。
ポカン、とする僕に、タンスイが「ニブい奴だな!要は向こう5年はここにいて良いってことだよ!」と肩を組み、鼻を啜りながら告げてきて。僕はようやく状況を理解した。しかも頭領がラショウに代替わりしているなら、追放後も彼の判断によっては早々に帰れる可能性まである。
本当にいいの?と恐る恐る聞くと「この大うつけが!」と怒号が飛び、反射的に尻尾が上がる。
振り向けば、そこには声とは裏腹に優しく笑うツキカゲ親分の姿があった。
「うぬは齢14の時にここへ来たときから、我らが家族じゃ。何があろうと、それは変わらぬ」と。
親分の言葉に、僕は耐えきれず、瞳から熱いものがあふれ出すのを感じた。
家族、になれたのか。こんな僕を…家族と言ってくれるのか。
ああ……なんて、なんて優しい人達なのだろう!
そう思えば思う程涙は止まらなくなり、僕のくたびれた服の袖は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。
「あーあー、全く。泣き虫ウイ坊だな、お前は!」とタンスイはふけだらけの僕の頭を乱暴に撫でたり、抱き締めてきた。子ども扱いされて僕がむっと口元を曲げると、「悔しかったら、さっさと風呂入って身なりを整えろ。立派な大人になるんだろ?」とラショウが笑い、僕は慌てて自分の身を顧みた。うわあ、今絶対僕、臭い!!
……そんなこんなで、皆と久方ぶりのお風呂に入り、改めて宴に加わり、泣いて、笑って一夜を明かした。
そして酔いつぶれて床に転がる皆を見、改めて決意した。
――いつか立派な大人になって。この人達に本当の意味で力になるんだ。って。